ある日、問題解決手法のことを思い出した

起稿:20220325
投稿:20220327
問題解決手法というものがある。本によっては、思考法と書かれているかもしれない。
文字通り、問題解決に向けての原因究明作業の中で使われる道具というか、方法といったものではあるけれど、
必ずしもつきとめれられるというわけではなく、
経験やデータ、状況証拠などを使って、
原因への気付きの一助になるという位置付けだと思う。
製造業に勤めているなかでは、QC検定とか品質絡みで使われる道具、方法となる。
私が問題解決手法というものに出会ったのは20年近く前で、あることも、なんとなくの内容も知っているものの、一時期は興味に惹かれ調べたりもしたけれども、実際に役立てたことは無い。
事実だから仕方ないのだけれども、ある意味で残念なことを書かねばならないのが、だいぶ恥ずかしい。
周りの方々がどうかは解らないけれども、
日常の問題や仕事上の問題も、対処療法で事足りることが多いし、そういう手法を用いてまで、原因究明という作業にやる気を持ち出す気になれなかった。
それでいて、ごくたまに、対処療法で太刀打ち出来ない状態になったときは冷静さを失って、問題解決手法に手をつけるという発想に至らない。
なんか書き進めるほどに恥ずかしさが増してくるのは、気のせいでは無いと思う。
ブログを書き始めて、早くも続かなくなっている自分がいて、たまたま一日休みがもらえて、ゆっくり過ごす中で、書かなければと思いつつも、話題が思い浮かばなかったときに、問題解決手法のことを思い出した。なぜかは解らないけれども、思い浮かんでしまった。
急がなければならないような問題は、ほとんど無いけれども、それなりに困っていることは点在している。それは事実で、ただ成り行きに任せているだけで、対処もしていないような問題もあると思う。
というか、個人的に大きな問題と思うものと、あまりにも些細な問題、程度の差はあるけれども、数点は思い浮かんでいる。
問題解決手法は日常生活でも使える代物なのだろうか。私の中では、日常生活の中でも使えなければいけないような気がする。そう思う。
2022/03/27
指の歩み シュシ

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